四国遍路ここが見どころ!

四国88ヶ所霊場に関することいろいろ。

感動の金札

感動の金札
四国遍路にかかわった人々の中でも紹介しましたが、
あの生き仏と言われた中務茂兵衛の金札を目にする
事が出来たのです。


中務茂兵衛の金札には長州先達と記してあり、明治19年
順拝度数86度目のものです。
貴重な金札



中務茂兵衛といえば、明治から大正期にかけての遍路ですが
当時金札があったという事に興味を引かれます。
茂兵衛の金札

納経帳は茂兵衛のものではありません




現在では、50回以上巡ったひとが金札を納めております。
100回以上になれば錦札になります。
しかし何時頃からこのような札を納めるようになったのかは
定かでないようです。
納め札に関して、明治の案内記に面白い記述があるので
紹介してみたいと思います。


明治15年に初版が発行され、大正6年の第5版の「同行二人」の
まえがきの「納めふだ」の件に・・・
(當今納札の頭に、大師の御影を猥りに描出したるものを携へ
巡拝もの多く當人不注意より途上に散逸せしめ行人の土足にかかり
或は牛馬の糞を覆いひある等言葉に絶へたるものあり信心なる
ものどこにあるか言動の一致を欠き 大師にたいする不敬これ
より大なるものなからんと云々)


つまり私たちが現在、普通に使っている納め札ですが、上部に
お大師様の御影があるのですが、この御影を載せるなでの過程
には、やはり賛否両論あったことが窺えます。
ほかに、明治の案内には
納札は半紙六ツ切とあり、茶札・摂待等善意の人には別に小札
を用意し、時々是を渡すべし。
とあります。


半紙六ツ切の納札とはかなり大きな札になります。
手書きの物、あるいは版画の物などあったようですが、版画摺り
の納札、大師の御影のあるもの、無かったもの(大正期)の二枚を
記載します。
納札一つを例にとって見ても歴史を感じます。
納札大正

  1. 2009/11/03(火) 18:15:27|
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梛の木は残った

梛の木(なぎのき)
マキ科に属する針葉樹でありながら、広葉樹のような幅の広い葉を持つ
樹木です。
この木は熊野権現の御神木であり、熊野速玉大社には平重盛の御手植えと
言われる日本一の大きな梛の木があります。
古くから、鏡の裏や守り袋に入れ災難除けとされていたようです。


四国にも霊場札所を含め相当数の梛の木が見られます。
おそらくは熊野の修験者などにより持ち込まれたものだと思われます。
この梛の木に伝わる伝説が高知にあるのですが、記してみたいと思い
ます。


昔、金二という漁師がいました。あるとき仲間と漁にでたが、嵐に遭い
船は転覆し中間は見えなくなってしまいました。
泳ぎに自信のなかった金二は無我夢中で波間をただよっていたのです。
その時、笹のような葉をつけた小枝が浮かんでおりしがみついたのです。
それがなんと日頃より金二が信心している浪切り不動明王の境内にある
神木、梛の木だったのです。
この時金二は「あっ!お不動様の梛の木じゃ おれは助かるぞ」
そう思うと大変な自信が湧いてきたそうです。
こうして中間の中から金二だけが助かったという。


この伝説の地は、27番神峰寺より28番大日寺に行く途中の国道55号
線で、今も梛の木が残っております。
昭和44年に国道の拡張工事の為、取り除こうとされたのですが地元民、
関係機関の努力により浪切不動と共に梛の木が残ったのです。
それが為に、現在も国道は梛の木を挟んで上下線が分離しております。
昔、何処かの空港でも鳥居を退けることにより災難が起こるとから
取り除けなかったというような話を聞いたことがあります?
この梛の木も熊野の神木、不動さまの神木ということで残されたのでは
ないでしょうか。
国道55号線に残る梛の木



一時期、私も梛の木ばかりを探しての順拝をしたことがあります。
熊野修験が四国霊場の開創にはそうとうかかわっているのではとの思い
からですが?。
霊場札所には多くの梛の木が残っております。
笹の葉と同じく、縦には裂けるのですが横にはたとえ枯れ葉でもちぎる
ことは出来ない珍しい葉っぱです。
別名 弁慶泣かせ、小僧泣かせ、チカラシバ等ともいうそうです。
落ち葉で十分です、札所で見つけては1枚頂いて、お財布に入れるなど、
お守り・災難除けとして大切に持たれてはいかがでしょうか。


43番明石寺の納経所前などは沢山の落ち葉があります。内緒ですが(笑)










  1. 2009/09/30(水) 14:50:01|
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女人禁制の標石

女人禁制の標石


女人禁制
お寺の縁起などでよく聞く言葉ですが、本当にそうだったのかな〜
と半信半疑に思うことがあります。
高知・26番金剛頂寺も昔は女人禁制だったのですが、これを証明
する漂石が残っております。
階段を登る手前右側にあるのですが、結構こういった身近にあるも
のです。
おん奈みちひだり(女道左) border=
この標石はおそらく元は、麓の入り口にあったものと思われます?

では、当時は女人はどこで参詣していたのでしょうか?
国道55号線の金剛頂寺の入り口より高知方面に進と行当岬(その
昔が行道だったようですが)がありその先に不動岩という所があり
ます。
ここの堂が昔の女人堂です。どうか一度参詣、立ち寄られてはいか
がでしょうか。
  1. 2009/09/21(月) 14:57:36|
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23番薬王寺

今回は23番薬王寺の見どころをご紹介したいと思います。

薬王寺は厄除け寺として有名です、また四国
第23番札所、徳島県(発心の道場)
の最後の札所としてもよく知られており、お遍路さん以外にも厄除けの参詣者
などでで一年中賑わっております。
まず山門を通り、厄坂(女33・男42)に行くのですが、この山門手前に
(右側に)珍しい標石があります。
昔はほとんどの寺にこういった標石が必ず有ったようです。
現在では四国霊場の札所では2ケ寺程しか見ることができません。
貴重な標石ではないかと思います。
23番薬王寺 山門


さて此の標石ですが
「不許酒肉五辛入界内」
と刻まれております。
肉酒 五辛 界内入ることを許さずということです。
貴重な標石


山門は結界です、是より内には肉、酒、五辛は持ち込めないということで
すが、では五辛とは何でしょうか?
辛い物と思いがちですが、じつは臭いのある5種のものなのです。
仏家でいう五葷(ごくん)とは大蒜(にんにく)茖葱(らっきょう)
葱(ねぎ)蒜(ひる)韮(にら)の臭う物なのです。
現在の僧侶はどうかと思いますが、昔であれば、お坊さんは肉、酒、臭う
ものなどは食べられなかったようです。


次に、本堂の左奥にあるのですが お大師さまのお加持水です。
全国津々浦々にお大師様の加持水はあるようですが、この薬王寺の加持水
(湧水)は胸の病気に特に良いといわれております。
肺大師としてお大師様が祀られておりますが、その足元よりコンコンと
お水が出ております。
まず、お大師様にお参りをしお水を戴いて下さい。必ずお陰・功徳があると
おもいます。
肺大師(加持水)


最後にお大師堂を参詣すれば是非見てほしいのですが、くだがゆと書いた
札がぶら下がっております。
これは何かというと、今年の稲の出来を占う(予想)ものです。
つまり、稲が豊作であれば天候も安定しているということです。


今年は極早稲(ごくわせ)八分、早稲(わせ)九分五厘、中稲(なかて)
九分、晩稲(おくて)九分五厘、となっております。
今年はかなりの豊作みたいです。
しかし現在までは、梅雨明けも遅く異常気象が続いております。これからの
天候、気象が良くなることに期待したいものです。


仏教の作法で占う、くだがゆですが結構当たるようです。
是非、お大師堂参詣の節はご覧ください。出来れば年の始めに見たい
ものですね。
大師堂に掲示される「くだがゆ」の札


以上、薬王寺の見どころでした。

  1. 2009/08/11(火) 09:03:27|
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南光坊の見どころ

55番南光坊
四国霊場中「坊」で呼ばれる札所はここだけです。
もともとは、大三島の大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)の脇坊であった
ことから、そのまま坊で呼ばれるようになったようです。どこの寺院も
山号・寺号・院号(呼び名)があるのですが、この55番南光坊も例外ではなく
山号・寺号・院号があります。しかし、ほとんど知られていないようです。 
正式には、別宮山、光明寺、金剛院となります。


明治までの信仰の対象は、大三島の大山祇神社だったのですが、この脇坊が
明治以降 札所となり坊と呼ばれるようになったようです。
本来は、大三島まで船にのり参詣するのが正式なのですが、七里の海上を
移動するのは大変なことだったようです。
そこで現在も南光坊の隣に大山祇神社の別宮があるのですが、この別宮で
省略してもよろしいということだったようです。
御詠歌にも
「このところ 三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹」
とあります。


さてここ南光坊の見どころですが、近年に建った山門でしょう。
一般的に多いのはア・ウンの仁王像を祀る二王門が多いようです
が南光坊の門は四天王を祀る四天門なのです。
持国天・増長天・広目天・多聞天の像が素晴らしいです。
車での参詣であれば、門を通ることがありません、是非一度門をくぐって
参詣されての仏像鑑賞もよいのではないでしょうか。
四天王の像(1)
四天王の像




門を通ると左の方に書家で有名な、川村驥山(かわむらきざん)の
筆塚もあります。
本名を河村慎一郎(1882〜1969)といい明治から昭和期の日本書道界
の第一人者と言われた人物てあります。


是非、一度山門よりの参詣をお勧めいたします。



読者の皆様へ
将治さん 3児のパパさんこれからも宜しくね。



  1. 2009/07/23(木) 15:52:58|
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