お大師様の開かれた四国八十八ケ所は、
今や大ブームとなり世界遺産にとの
運動も行われているようです。
江戸時代には、ほぼ民間信仰となり
寺院は整備され、遍路道には標石がたち、
道に迷わず快適な順拝ができるよう
今日まで歴史は受け継がれています。
へんろがへんろのために尽くし、
時代とともに篤信者(へんろ)が
活動しておりますが、生き仏と言われた
中務茂兵衛と同時期に活躍した
伊藤萬蔵翁についてお話したいと思います。
伊藤萬蔵は全国の社寺に莫大な財を投じて
寄進しております。
その寄進物はすべて石製品なのです。
なぜ石製品なのかは後で記すとして、
まず万蔵翁の寄進物を紹介します。
香台・寺標・常夜灯・花壺・石仏・狛犬・道標
・社標・手洗い鉢・鳥居・石柵・等々多く
の物があります。
中でも一番多いのが香台で、全国におよそ
193基残っているそうです。
すべての物の総数は全国で437件、四国では
76基ほど確認されております。
10番切幡寺の本堂前の香台、70番本山寺
本堂の花立などは特に大きく素晴らしいものです。
寄進当時は四国の霊場は勿論、有名な社寺すべてに
あったのではないかとと思います。
それでは萬蔵翁の寄進物はなぜ石の物なのでしょうか。
建物(木造建築)の場合は、何時かは必ず傷む、
そのとき寄進の縁で補修を頼まれたり、子孫に
負担がかかるとの配慮から石造物になったようです。
石であれば長持ちし、地震などで崩れても積み
なおせばよいと考えたようです。
では、なぜこれほどの寄進が可能だったのでしょうか。
萬蔵は米穀商を営み、大八車を引き名古屋から一宮の間を
一日に2往復するほどの働きものだったといわれます。
屋敷には4棟の米蔵があり、100軒を超す借家もありました。
田舎から出てきて、一代で財をなし儲けさせてもらったのは
神仏のお陰と感謝をし、世の中にお返ししたいという感謝の
念が人一倍強かったのだとおもいます。
また、幼少のころ弘法大師に命を救ってもらったことも神仏
へ寄進を始めるきっかけではないかと言われています。
天保4年に生まれ、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、
慶応、明治、大正、昭和2年、95歳で亡くなるまで10代を
生きぬいた長寿であったようです。
時代とともに萬蔵の寄進物(香台等)も、新しいものに
入れ替わっておりますが、残念であり当然のことかも知れません。
どうか霊場で萬蔵翁の残した寄進物に出会い、歴史を感じていただ
ければと思います。
- 2008/04/15(火) 13:50:23|
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