四国遍礼功徳記 3
奥州の会津の庄にて、行脚の僧小家に立より宿をかりけるに、あるじいふやうは、かくあさましき
所にいらせ玉ひ、ありがたく、なにとぞもてなくしたくハ候へども、心ばかりにて候。
此所ハ塩とぼしくて、われらごときの貧人は得やすからず、漸一つゝミ求め置し塩、やねのうらに
つりて見るばかりにて候。
せめてこれをまいらすべしとて取おろし、すゝをはらひ、ひらきミれば塩はなくなりけり。
行脚の僧、その心ざしを感じて、さらば塩を加持しあたへんとて、五股を以て咒せるに、忽其砌井
と成、汐わき出けり。
此井わたり八尺はかりの楠の中より出て、底に梵字ある石見えける。あるじ驚き、里人をあつめ
おがませける。さていかなる御僧にてましますぞと申ければ、我は四国辺にてあそぶものなりとて、
行かたしれずなり給ひぬ。ミないひけるは、まさしく弘法大師にてわたらせ給ふべし。
さらば報恩のために四国遍礼せんとて、ミなみな出ける。それより いよいよおほく塩出けるにより
、一ぞく売てすぎハひにし、田地を をろそかにするにいたる。これより郡主運上をかけられしに、
程なく塩出ざりけり。
一ぞくふかくかなしミ、運上かけ給ひし故ならんかしと、免許を蒙り、塩湧出候やうにとて、十七
日を限り、祈?立願し、里人のこらず四国遍礼いたすべしと、大師をおがミけるに、三日まに又も
とのごとく塩出ければ、ありがたき事とて、やがて編礼に出ける。
その一族三十六軒いまに至りて信をとるときこゆ。

前回も書いたのですが、遍礼をへんろと読むのですが、なぜでしょうか?
この功徳記は江戸時代の遍路本ですが 修行僧の真念と云う人が、高野山の寂本という高僧に刊行を
依頼をします。
この寂本が 西国巡礼にならんで遍礼を遍路と読ませたのですが、 しかし なかなかブームにはなら
ずこの時代、時期だけだったようです。
お遍路の豆知識
打つについて お遍路さんが札所を順拝することを打つと言いますが、これは昔の納め札は木札で
寺の境内に打ち付けていたようです。順拝を終え札を打つのです。つまり参詣したという意味なの
です。
順打ち 基本的な順拝方法。1番霊山寺から88番大窪寺で結願です。
逆打ち 発願所から順に打つのではなく、結願所から逆に打つこと。
参考までに・・・札所とは札を納めるところ(所)なので札所と云う。当たり前すぎたでしょうか(笑)
私も木札を打っております 千社札といっしょで、寺の嫌われ者のようです。
- 2012/02/01(水) 17:15:09|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0